たまにまで ルコ編その3
2021年春のこと

一般社団法人たまに設立に至った背景を、設立メンバーのふたりがそれぞれの視点で書いていきます(ルコ編は全3回)。少し長いですが、ふたりの設立までの道のりや、"たまに"の活動に込めた思いの一端を、みなさんと共有できたらうれしいです。

たまにまで ルコ編その1はこちら その2はこちら


孤独にも慣れて

なんとかかんとか生き延びて、マスクをして迎える2度目の春だ。未曾有の感染症が私にもたらしたものは、開き直る強さと使命感だったと思う。これまであまり口にすることのなかった、不安や寂しさや孤独を臆面もなく言葉にできるようになり、さらに、どうにかしなければと思うようになった。

「ムードメーカー」を名乗るずっと前から、場づくりやファシリテーションに関わってきた。何か困ったことがあったときに、「あの人に相談しよう」と思えること、そして誰もが思い出される「あの人」であるような社会をつくりたいと思っている。

世の中はままならない。自分の思い通りに物事が進むとは必ずしも言えない。だけど、困りごとがあったときや何かを始めたいとき、ひとりではどうしようもない時に、話を聞いてくれる人がいるかいないかは大きな違いだ。ただ聞くだけに終わるかもしれないが、もしかしたらヒントをくれるかも、あわよくば他の頼れる人を教えてくれるかも、どうかすれば一緒に何か行動を起こしてくれるかも、そういう期待が世の中にできるかできないかで、生きやすさの程度は変わると思う。

そういう社会をつくるには、自分を開き、相手を知り、関係性をつくることが必要だと思っている。強いつながりでなくていい。困った時に思い出せるぐらいのゆるいつながりで十分だ。そのゆるいつながりをつくるための取り組みを地域や組織で行ってきた。

もちろんこれは、ひとりで暮らしている自分自身のためでもある。「たまにまでルコ編その1」でも書いたように、スタイルとして「おひとりさま」を選択することと、ひとりぼっちでいることとは違うのだ。誰もがひとりであることと、共にいることを選べるようにしたい。こんな私がやるべきことが、きっとある。

うららちゃんについて

うららちゃんと初めて会った日のことはよく覚えている。大学院2年の春(2018年だ)、1年の時にはタイミングが合わず受講できなかった名物授業を受けることにした。初回の講義に時間ギリギリで教室に滑り込んだところ、隣の席にいたのがうららちゃんである。よく笑う人だなと思った。よく笑う人は心の体温が高い気がして好きだ。そこから仲良くなったきっかけは覚えていない。

言葉でちゃんと伝えようとする人だと思う。私が疎かにしがちなあれやこれやを拾ってちゃんと整えようとしてくれていて、いつも頭が下がる。甘えっぱなしである。だいたい私がいろいろ滞らせることが多い。

喋る必要がないときは絶妙な距離感で放っておいてくれる。私も放っておくがなんのプレッシャーも感じない。なんでも言えるがなんでもは言ってない、はずだ。そういう距離を許してくれる。

基本的にうららちゃんの方が色んなことの始まりを作ってくれていると思う。だいたいうららちゃんのことを私は自分より信用しているので、彼女が持ってくるものは楽しいに決まっているしいろんな意味で大丈夫だろうし学びにつながるだろうと確信している。

まあ、うららちゃんは私にとってそういう人です。

たまにとわたし

孤独で不安な時期にうららちゃんとはあれこれと話をした。このような状況にあって、私たちはどんな価値を出せるのか。これまで研究してきたことは今のような時のためにあるのではないのか。この世界に新しい仕組みを提案するのが、私たちの使命ではないのか。

だから、たまにに誘われた時に一緒にやることに決めたのは自分にとっては自然な流れだった。

「たまに、いいことをする」というコンセプトはうららちゃんが以前から持っていたものだ。たまにとはどれぐらいの頻度なのか、いいこととはなんなのか、色々と考えさせてくれる余白のあるコンセプトだなと感じて、気に入っている。私は天邪鬼なので、たまには悪いこともするのだろうな、何しようかな、などと考えてひとりでにやにやしている。お金にはなりそうもない。説明もしづらい。そういうところが好きだ。

私がこれまで大事にしてきたことを"たまに"でもやる、と決めている。遊ぶこと、ムードメーカー、場づくり、もちろん大学院で学んだこと、研究の続き。やれると思う。

今だって寂しいし、夜はひとりでこころぼそい。けれど、2021の春にこうやって動き出せたことが幸せだ。

たまにまで ルコ編 おわり

文:真鍋薫子
イラスト:斉藤重之