たまにまで ルコ編その1
2020年春のこと

一般社団法人たまに設立に至った背景を、設立メンバーのふたりがそれぞれの視点で書いていきます(ルコ編は全3回)。少し長いですが、ふたりの設立までの道のりや、"たまに"の活動に込めた思いの一端を、みなさんと共有できたらうれしいです。


突然の孤独

オンラインの打ち合わせが終わって顔をあげると、窓の外はすっかり暗くなっていた。私は椅子からなかなか立ち上がることができないで、「ひとりだなあ」と思った。「ひとりだなあ」「こころぼそいなあ」

それを誰かにどうにかして伝えたかったが、どうすればいいかわからなかった。LINEすれば応えてくれる人はいるだろうし、Facebookに投稿すれば「いいね!」がつくだろうし、電話をかけたりDiscordに繋いだり、手段はいくつもあるのだが、何をすることが自分を満足させることなのかはわからなかった。どんな手段であれ誰かとコミュニケーションを取れば、私は元気に話すだろう。「久しぶりー!!元気にしてた?最近どうしてるの?」

でもそれは何か違うような気がしていた。私は寂しいということを言いたいし、それで大変に困っているということを伝えたいのだ。でもそれを受け止めてくれる人がいるのかどうか。

しばらくじっとしていると、隣の家の話し声がかすかに聞こえてくる(うちのマンションは壁が薄いので)。外からは子どもの声、車の音、あれは踏切、電車がレールを軋ませる音。この世界に生きているのが、私だけではないと教えてくれる。

教えてくれるが、それらはあまりにもバラバラとしていて、自分とつなげることができない。自分と関わりない物事が夜にバラバラと散っている。さて、コロナの前もこんなだっただろうか?

とりまく不安

もともと自他ともに認める社交的で行動的な人間だ。私の興味を掻き立てるものが世界には山ほど存在するので、私は好奇心をコンパスとして自由きままに生きてきた。

わりと早くに結婚し、わりと早くに離婚して、子どもはおらずペットもおらず、渋谷区に購入した自分と同じ年齢くらいのマンションに住んでいる堂々たる「おひとりさま」だが、それは暮らしのスタイルの話であって、実際にひとりぼっちでいいわけはない。

むしろ私は移動し、人と会い、対話をし、ゆるくあたたかな関係を育みたいと思い、そのように行動してきた。

ある飲食店を通りがかったら、こんな張り紙がしてあった。

「4名さま以内、ご家族のみでのご入店に限らせていただきます」

心底びっくりした。だ、だれと家族のふりをしよう。いや、別にこの店にどうしても入りたいわけではないんだけど。

「人との接触は8割減」にもびっくりしたなあ。残り2割を誰としよう。いや、特定の人はいないけど。

とにかく他人(家族以外の人)と同じ場所同じ時間を共有することが極端に制限される中で、私が持ちたいと思っていた時間や関係性、そこに至るまでのプロセスみたいなものを維持するのがとても難しく思える状況になってしまった。

私は長いことひとりだったが、この状況が続けば未来永劫ひとりになってしまうのではないかと今から思えば滑稽なほど不安になっていた。

私が私らしさを失っていくような気がした。

大事なことは何か

一方で、何かしなければいけないという切迫感みたいなものがあった。私と同じように不安になっている人は他にもいるはずで、もうリアルで二度と会えないかもしれないけど(本当にそれぐらいまで思っていた)、孤独を解消するために、何か。だって私はずっと場づくりに携わり、対話してきた人間なのだ。いまやらなくてどうするのか。

実際にできたことは多くない。Zoomを一日中つないでオープンにして仕事をしたり、同じようにひとりで暮らしている友人とメッセージを送りあったり、少しでもつながりあえる場をもてないかと、オンラインツールを片端から試してみたり。おそらく、多くの人がそういった試みをしたことだろう。

やってみたらやってみたで、オンラインは実に便利なもので、オフラインでできていることの大半のことができた。それもまた寂しかった。

自分が何を求めているのか、深く考えるようになった。何気ないお喋り、お菓子を分け合うこと、ハグとキス、偶然の出会い、声に出さなくてもいい相槌、何も話すことがなくなってしまったけど別に時間を共有しているだけで大丈夫な感じ、本当に本当に小さなこと。どうすれば手に入れられるだろう。考え続けた。

その2へつづく

文:真鍋薫子
イラスト:斉藤重之