昨年の緊急事態宣言真っ只中の時期に、友人が企画してくれたオンラインイベントで、山崎阿弥さんという方を知った。彼女は声のアーティストとして活動されており、ユニークな発声と類稀な聴覚を活かしてパフォーマンスをしている。といっても文章ではそのユニークさが全く伝わらないので、ぜひYouTubeにあがっている動画を見ていただきたい。動画でも衝撃を受けたが、当日のパフォーマンスは圧巻だった。部屋を暗くして彼女の声に聞き入り、存分に不思議な音の世界を味わった。
彼女の声を聞きながら、私は2019年に訪れたタンザニアの夜を思い出していた。タンザニアはアフリカ大陸の東部に位置する国で、広大な国立公園を複数有する。「アフリカの夜」というとどんなイメージだろうか?満天の星?冷え切ったサバンナ?肉食獣の光る目?実は私が忘れられないのは、その「うるささ」である。
滞在中の二泊を、私はセレンゲティ国立公園にあるキャンプサイトで過ごした。ここではホテルやロッジではなく、いわゆるテンタロー(テントバンガロー)と呼ばれるキューブ型のテント素材で囲まれた部屋で寝起きする。クイーンサイズベッドが2台設置され、量の制限はあるが温水のシャワーも使用でき、サバンナの真ん中で過ごすには申し分ない施設だ。別の場所にあるレストランで夕食を摂った後、スタッフに伴われて部屋に入り、消灯の22時までに全ての用事を済ませてベッドに入る。真っ暗な部屋にひとり、Wi-Fiもつながらないので寝るしかない。
しかし、なかなか眠ることができない。外の音がうるさくて、気になって仕方がないのだ。動物らしきものや鳥らしきものの鳴き声、虫らしきものの羽音、突然テントに吹きつける風、風によってざわめく木々。
日本で感じる風流なものじゃないんです。がーがーぎゃーぎゃーごうごうぎぎぎ。本当のところ何がその音を発しているのかは分からない。とにかくとにかくうるさい。やっとうとうとし始めた明け方には、テントを打つ強い雨。
サバンナの朝焼けは感動的だったが、二晩ともそんな調子だったので、私はすっかり寝不足になってしまった。現地の人にこの話をしても、慣れてしまっているのか笑うばかりで全く共感が得られなかったが、次に訪れる機会があったら耳栓を持っていこうと固く決意した。
オンラインイベントで山崎阿弥さんの声を聞いた時、その多彩な音を思い出したのだ。生き物の音。生きているからこそ味わえる音。サバンナの夜ではなく、緊急事態宣言下の東京の夜、PCの画面越しではあるけれど、生命力を感じさせる少し不安で少し心強いような音を私は感じていた。
さて、山崎阿弥さんのYouTubeでのパフォーマンスを見ていただければ分かるのだが、彼女が最後に周囲の音に耳をすませるシーンがある。誰かが立てた物音に反応し、建物の外で吹く風をもキャッチする。耳や肌で感じる微細な音を感じ取っていくのだ。
これを見ながら私が抱いた感想は「お腹が空いたら彼女には分かってしまうな」だった。お腹が空いてぐうぅと鳴ったら、それがどんなに小さな音だったとしても、彼女のそばにいなくても、キャッチされてしまうだろうな。ちょっと恥ずかしいかも。
生き物の体は実は様々な音を立てているのだそうだ。心音・呼吸音・血液が血管を流れる音・消化器が食べ物を消化する音。自身が発するそれらを全てキャッチしていてはうるさくてかなわないので、ノイズとして聞かないように処理する機能が生き物には備わっているとか。
ソースをみつけられなかったので本当かどうか分からないが、あり得る話なのではないかと思っている。さらに言うと、自分の音だけではなく、周りの人の体の音も感じているのではないか。お互いの体から発せられる微細な音を実は感じながら感情をやりとりしているのではないだろうか。
感情によって、鼓動が早くなったり顔が赤くなったりするのはわかりやすいケースだが、もっと細やかなこころの動きも言動以外で伝え合っているような気がするし、それで伝わる自分こそまさしく「ありのまま」なのではないかと思う。そしてそれを伝え合うことができるかどうかがオンラインとリアルの違いなのではないか。
初めて体験したアフリカの夜のようにというわけではないけれど、私はそれと同じぐらい多彩な誰かのお腹の音やおならの音を聞きたいなと思っているわけです。ちょっと変態だな。
・・・
それよりオンラインで伝えることができないのは「におい」なんじゃないか、というご指摘には全力で首肯します。私が体験したふたつのことが結びつき、身体が発する音に思いが至ったというだけの話でした。
文:真鍋薫子
イラスト:斉藤重之