一般社団法人たまに設立に至った背景を、設立メンバーのふたりがそれぞれの視点で書いていきます(うらら編は全4回)。少し長いですが、ふたりの設立までの道のりや、"たまに"の活動に込めた思いの一端を、みなさんと共有できたらうれしいです。
子育て中の友人が与えてくれたきっかけ
「うちでごはんを食べよう」と話していた妊娠中の友人がようやく我が家に晩ごはんを食べに来たとき、お腹にいたはずの赤ちゃんは、すでに1歳を迎えていていた。我が家からわずか10分のところに住んでいるご近所さんである。
たかがごはん、されどごはん。
慌ただしい日々の中で、たった一度のごはん会を実行に移すまでに1年以上かかってしまった。
とびきり愛らしいモンスターに手を焼き、疲労の色を隠せない友人の姿を見ながら、「ごはんくらい、もっと気軽に食べに来てもらえるようになれたらいいな。そうしたらこっちは楽しいし、彼女は楽になるのに」と思った。2017年秋のことである。
晴れないモヤモヤ
当時は私自身、ご近所さんとの付き合いにモヤモヤとした気持ちを抱えていた。
引っ越して2年にもなるというのに、顔見知りは引越しのときに挨拶に回った向こう三軒両隣ならぬ向こう二軒両隣の4軒のみ。ひとり娘はすでに高校生になっていて、子どもつながりのお付き合いも増えそうにない。ゴミ出しの時などにすれ違うご近所さんに挨拶しようと様子を伺うものの、遠巻きに距離を取られたりして、挨拶どころか視線を交わすことすらままならない。それ以前も同じ小学校区に住んでいたので、近所にそれなりに知り合いはいたし、生活上困ることもなかったけれど、それにしても、2年間ごくごくフツーに暮らしていて、挨拶できる人がひとりも増えないとは。
ご近所付き合いを避けてきたわけではない。むしろ周囲とゆるくつながりながら生きていきたいと願ってきた。できることなら少しくらいは地域に貢献したいとの思いもある。そんな私たち家族が、この先地域のなかでつながりを得ることができないのではないかと不安を抱えている。
これが今の日本社会の、あるいはこの地域のデフォルトだとしたら、これってやっぱり何かおかしいんじゃないか。社会の問題だよな。
そんな風に思っていた頃、件の友人がごはんを食べにきたのだ。
欲しいものを生み出すために、自分の人生を使う
慣れない子育てにフラストレーションを抱える友人と、この地域で暮らしていくことに漠然とした不安を持つ私。ふたりが抱える痛みの根っこをたどっていくと、今の日本社会、あるいは世界中の成熟した/しつつある国々が抱える共通の課題が横たわっているように思えるし、よりよい状態へと誘うための処方箋もまた、かなりの部分で重なり合っているようにも思える。
普段から連絡を取り合うことはなくても、見かけたら声を掛け合いたくなるような、ちょっとしたときにサポートをしたくなるような距離感のゆるいつながりを生み出し、穏やかに支えていくような何か。町内会のようないわゆるコミュニティ活動にコミットできなくても、あるいは子どもがいなくても、気持ちのよいつながりを少しずつ増やしていけるような何か。テクノロジーを上手に活用した、今とこれからの時代にふさわしくて、今ここにいることへの安心感につながるような何か。そんな何かを生み出すために、自分の力を、これからの人生を使えないだろうか。
そんな思いを募らせた頃、娘が高校に進学。「もう子育てを言い訳にするのはやめよう。人生のベクトルを、欲しい未来に向けきろう」と決めたタイミングが、自分の中でピッタリと重なった。
2018年春、こうして私は、慶應義塾大学のシステムデザイン・マネジメント研究科というしくみづくりの方法論を学ぶ大学院に入学し、「ご近所さんをゆるくつなぐしくみ」の研究を始めることにした。
その2へつづく
文:佐竹麗
イラスト:斉藤重之